あいちゃ
2013年11月23日
20:21
地元から愛され続けているご当地ソングを紹介しています。
本日は、東北楽天イーグルスの本拠地、
宮城県仙台市のご当地ソングです。
となれば……、もう皆さんお分かりですよね。
そうです。さとう宗幸さんのヒット曲、
『 青葉城恋唄 』 です。
この曲は1978年の第20回日本レコード大賞と、
日本作詩大賞を受賞しています。
1977年当時、FMラジオ放送のDJだったさとうさんは、
視聴者から寄せられた詩にさとうさんが自ら曲を作って
出来上がった歌を、番組内で弾き語っていました。
そこにある日送られてきた詩が、仙台市内の学生だった
星間船一さんが作った 青葉城恋唄 でした。
さとうさんはその美しい詩を見て、何かを感じたそうで、
曲はまたたく間にできてしまったそうです。
そして、ついに番組でその弾き語りが放送されました。
番組では青葉城恋唄は1番しか歌われず、
当然ですがそれでおしまい、ということでしたが、
オンエア後に放送局に電話が殺到したそうです。
今日の放送した曲が素晴らしくて、とても感動した。
もう一度だけでいいから歌ってもらえないか?
その後、さとうさんはこの歌を持ち歌にしていましたが、
彼は所詮は素人ミュージシャンなので、
レコードを出すまでは考えられなかったと思います。
そんな中、メジャーの音楽出版社のディレクターの目に
この青葉城恋唄がとまります。
仙台びいきのディレクターは、曲のレコード化を
前向きに考えてくれはしましたが、
さとうさん自身が歌うことには苦言を呈します。
なにしろ、さとうさんは全国区では全く無名ですから、
レコードが売れないのでは、という心配があったそうです。
そこで当時有名なグループ、ダークダックスに
この青葉城恋唄をレコードでまず出してもらい、
その後で、チャンスがあれば、さとうさんの
レコード化も考える、という妥協案が出されました。
この青葉城恋唄は、さとうさんにしてみれば
たったひとつの虎の子の曲でもあります。
それを他人が歌って、それがヒットすれば
青葉城恋唄は他人のものとなってしまいます。
普通ならば、そんな勝手な提案なんか
受け入れられなくても不思議ではないですが、
さとうさんは即座に快諾したそうです。
なによりも、この大好きな曲が有名になってくれる
ことが、さとうさんの一番の望みだったからです。
ダークダックスが歌った青葉城恋唄は、
予想通りヒット曲となり、曲が定着したところで、
満を持して、本人さとうさんが歌う青葉城恋唄が
レコード化されました。
さあ、その結果はどうなったのでしょう?
ダークダックス版の売り上げは30万枚。
そして、さとう宗幸版は、徐々に売り上げを伸ばし
ついには逆転します。
最終的な売り上げは110万枚のミリオンヒット!
よかったですねえ^^。
この年1978年のレコード大賞で、日本作詩大賞の
候補にあがった青葉城恋唄の歌詞について、
大御所の作詞家である阿久悠氏が助言をします。
当時、阿久悠氏は別の曲で日本作詞大賞の候補に
あがっていたので、彼にしてみれば青葉城恋唄は
ライバル曲になります。(格は違いすぎますけどね)
歌詞の中の、『時』はめぐるものじゃない。
『時』の文字に、『季節(とき)』をあてなさい。
たしかに@@! 時がめぐる、っておかしいですよね。
そして、その年の日本作詩大賞に輝いたのが、
阿久悠氏の助言で修正された青葉城恋唄だったのです。
数年前に、とある報道番組の一枠で、
青葉城恋唄のエピソードが取り上げられていて、
さとうさんに番組ディレクターから、1977年当時の
初めて青葉城恋唄がオンエアされた時のラジオ番組を
収録したテープが番組の最後にプレゼントされました。
さとうさんは、「そんなのよく残っていましたねえ」
と、最初は笑っていました。
いよいよ、そのテープがさとうさんの前で流されます。
今日はとても素晴らしい歌詞が送られてきました。
青葉城恋唄です。聴いてください。
広瀬川~♪
テープを聞き終えたさとうさんは、少し間をおいてから、
「とてもいいものを、ありがとうございました…」
と一言こぼし、そのままうつむいて涙を流しました。
青葉城恋唄のエピソードが載ったリンクを紹介します。
Wikipedia 青葉城恋唄
BS朝日 うたの旅人
メトロの音辞苑
最後に、青葉城恋唄の動画のリンクです。
さとう宗幸 青葉城恋唄
ダークダックス 青葉城恋唄
1977年メジャーデビュー前のライブ版
倍賞千恵子 青葉城恋唄