2016年02月12日
八日目の蝉の比較 2

テレビドラマと映画の両方とで公開された名作
『八日目の蝉』を堪能しましょう企画です。
今日はまず、映画版から調べてみましょう。
『悲しさで感動させる人間ドラマ』を創作しようとした時、
みなさんはどんなストーリーを考えますか?
今、主人公が手にしているほんのささやかな幸せが、
何らかの理由で、永遠に手放さなければならなくなる。
感動ドラマを構成するための基本となるシナリオです。
このシナリオを作る時、作者の最大の武器となるのが、
たとえば、『ある登場人物の死』 です。
愛する人が不治の病で永遠に別れなければならなくなる。
不治の病は、シナリオ上で、読者に向けて永遠の別れを
予測させることもできるから、その効果は絶大なんです。
でも、『八日目の蝉』のすごいところは、
登場人物を誰も死なせることなく、
主人公たちが手にしているささやかな幸せが、
やがて、永遠に手放さなければならなくなる。
さらに、それを読者が予測できる、というシナリオを
角田光代さんが新しく創り上げたことだと思います。
さてさて、それはいかなる手段なのか?
(まだ観ていない人は、ぜひ映画やドラマを観てくださいね)
ある意味、単純に人が死を迎えるストーリ-よりも
生きながら幸せを手放すことは、より残酷なのかもしれません。
いつ来るのか分からないその最後の日まで、
今を精一杯生きる。これが、この小説のテーマの一つです。
では、映画版を考えてみましょう。
ただ、あたしは小説を読んでいないので^^;、
脚本家のオリジナリティがどこあるのかを
正しくは知っていないと思います。
今回は、映画版とドラマ版を単純に比較してみるだけなので、
小説を読んだ人に、多少お叱りを受けることを
書いてしまうかもしれません。
それに関しては、最初にお断り申し上げさせていただきます。
映画版の最大の特徴は、当たり前といえばそれまでですが、
2時間半という限られた時間内で物語を完結していることです。
逆にいえば、たった2時間半でこの物語を堪能できる
わけですから、『八日目の蝉』を広めるのに最も貢献したのは、
映画だと思います。
あたしも、映画版がなければ、知らずに終わっていましたから。
しかし、その2時間半という制限は、
当然脚本家に厳しい選択を迫ることとなります。
(ちなみにドラマ版だと、9時間(6回)という時間が使えます)
そのため、映画版では、個々の出来事の間のつながりを、
省略せざるを得ず、じっくりと説明できなくなっています。
例を挙げると、
1.大人になった恵理菜が
なぜ岸田と関係を持つようになったのか。
(映画版の岸田を演じた劇団ひとりさんが、
気持ち悪いとよくコメントで叩かれていますが、
映画の中で、小池栄子さん演じる安藤千草が、
岸田のことを、一瞬ですが、「あのストーカーみたいな人」
と揶揄していることから、脚本家自身も、岸田を
ストーカー要素をそなえた人物として演出しようとしています。
劇団ひとりさんの演技が悪いわけではなく、
逆に、演技力があるがゆえに、かえって鑑賞者の受けを
悪くしているのかなって感じもします^^;)
2.希和子が秋山丈博に対して抱いていた気持ちと、
秋山丈博という人物像の記述が不十分であること。
3.希和子がエンジェルホームに行くまでの過程が分からない。
4.希和子がエンジェルホームからの逃走を決意して、
実行するまでの葛藤と、
それを手助けした沢田久美の動機や行動が
十分に説明できずにいるため、
希和子が小豆島へ行って、
久美の実家で働けるようになるいきさつが、
鑑賞者に伝わらないこと。
5.小豆島での生活で、薫が男の子の服を着ている理由が、
沢田昌江の口から、一瞬説明されるが、やはり分かりにくい。
6.タキ写真館に希和子が立ち寄った理由
(ドラマでは説明あり)や、
大人になった恵里菜(薫)に、
滝がすんなりと気づけたこと(滝さんは超人です^^;)
まだまだいろいろありますが、1から6などの省略は、
メインの感動のためには、サブ的な効果しかありませんが、
ドラマ版で丁寧に説明されているのを観ると、
ああ、そういうことだったんだ@@!
と感じることが多くありました。
ドラマ版指示の方々が、映画版に対して抱く物足りなさが、
ここらあたりにあるのかもしれませんね。
次回、またさらに映画版を調べてみたいと思いま~す^^。
Posted by あいちゃ at 03:04│Comments(0)
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