
2012年01月26日
竹田の子守唄 考4

「赤い鳥」が歌った名曲「竹田の子守唄」の
難解?な歌詞に迫るシリーズもついに最終回です。
いよいよこの曲の謎の核心に迫ります。
問題の歌詞は4番のたったひとつの単語にありました。
それでは、まずその4番の歌詞を見てみましょう。
4.はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて
むこうに見えるは 親のうち
さてさて、何がいったい問題なんでしょうか?
主な単語としては、
「在所」は、現代の用語であれば、
生まれた場所(郷里)という意味ですよね。
ただ、辞書で調べてみると、
都会から離れた田舎、という意味もあるそうです。
「親のうち」はそのまま親が住んでいる家屋です。
えー。何が問題なのさ@@?
4番歌詞の意味は、
早くいきたいな~。
この在所を超えて、向こうに見えるのは、
私の親が住んでいるお家なの。
という意味でしょう(そのまんま)。
何が問題なんだ―? ><。
1番から3番までの歌詞を思い出してみましょう。
お金持ちの家庭に子守り奉公に来た少女が、
楽しいはずのお盆を前にして、
自分の貧しい身なりをあげて、
私はお盆を楽しむことはできないわ、と嘆きます。
さらに、毎日の子守りの仕事はとても辛くて、
早く奉公から解放されたいと願っています。
そして、4番歌詞では、
早く在所の向こうにある親のうちに帰りたい、
と悲しがって、歌は終わります。
ところで「親のうち」って、
よく考えてみると変じゃないですか?
「親のうち」ってイコール「あたしんち」
ですよね? ^^;
なんで、「親のうち」なんて歌ったんでしょう?
がーーん! @o@
そうです。そこは「親のうち」なんだけど、
「あたしんち」ではないのです!
現在の「あたしんち」はご奉公先のお家なんですね。
そして、「親のうち」に帰ることができない理由は、
奉公をして、親のうちに仕送りをしつつ、
親のうちの食費を軽減するためでしょう。
この歌は、華やかな街の生活に対して、
地方で貧しい暮らしをしている人々の
悲しい叫び声を嘆いた歌だったんですね。
んで、何が問題なのさ? ^^;
それは、「在所」という言葉です!
「在所」の意味が、故郷という意味ならば、
早く帰りたいな。
なつかしい故郷にある、私の生まれたお家へ。
という意味になりますが、
もしも「在所」が、田舎という意味だとすると、
(この歌の竹田地区がある京都では、
「被差別部落地域」という意味もあるそうです)
早く帰りたいな。
この部落の向こうにある、私の生まれたお家へ。
(私の生まれた家も、部落の中にある)
ということになります。
でもね……、ちょっと変じゃないですか?
在所の意味が被差別部落だとすると、
「この在所超えて」の「この」が
違和感ありませんか?
少女の生家が被差別部落にあるとしたら、
少女は今、街にいるわけですから、
故郷の方角を見た時に、
部落は遠くにあるはずです。
だから、「あの在所を超えて」という表現に
なるはずと思うのは、あたしだけでしょうか?
ちょっと、待て待て。
もう一つの解釈の「在所」=「故郷」でも、
同じ違和感があるじゃないですか?
あちゃー><。論理が崩壊している~。
じゃあ、「在所」の意味は、最も単純な、
「人が住んでいる所」。
すなわち、少女の奉公先は、
少女の親が住む貧しい地域から、
さほど遠くない場所にあり、
(大きな川を挟んで向かい合っているのかも)
「在所」は、奉公先の居住区のことであり、
早く帰りたいな。
こんな嫌な生活場所を超えて、
向こうに見える私の生まれたお家に……。
という意味なら、「この」がすっきりします。
「この在所」は、やはり少女が今住んでいる地域を
指すと解釈するのが 自然でしょう。
しかし、たとえわずかでも、
あからさまに被差別用語と解釈されてしまう可能性を
持ってしまった「在所」という言葉を含む歌詞は、
放送業界からしてみると、爆弾みたいなもの。
というわけで、この美しいメロディは
ある時期を境に放送されなくなってしまったんです!
名曲「翼をください」で有名なフォークグループ
「赤い鳥」の最高自信作である「竹田の子守唄」は
このような経緯で、表舞台から消えてしまいました。
ちょっと長くなりますが、(30分番組)
「竹田の子守唄」を特集した番組の動画がYou Tube に
ありました。
ぜひ、見てください。 それでは~^^
特集:竹田の子守唄1
特集:竹田の子守唄2
2012年01月21日
竹田の子守唄 考3

名曲の詩を考察するシリーズ。
今回のターゲットは、『竹田の子守唄』です。
まずは、フォークグループ『赤い鳥』による歌をどうぞ。
竹田の子守唄(赤い鳥)
歌詞は4番まであって、いずれも短いのですが、
何しろ難解で意味不明><、なものです。
でも、前回の記事で、
1、2番の歌詞は、生家を離れて暮らす子守り奉公をする少女の
悲しい思いを綴った歌である、ということが確認できました。
それでは、3番の歌詞を見てみましょう。
3.この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
「この子」は、もちろん子守りをしている赤ちゃんのこと。
「守り」は、子守りのこと、すなわち、自分のことです。
「いじる」は、無理をいって困らせる、という意味ですね。
「やせる」は、つらさで身体がやせ細る、ということでしょう。
そして、3番の歌詞の意味は、
この赤ん坊は本当によく泣いて、私を困らせてばかり。
こんな毎日の生活だから、私はどんどんやつれていくのね。
という感じでしょうか。
ついに、最後の4番までやってきました。
実は、この4番の歌詞の中のたったひとつの単語が、
この曲の運命を大きく変えていってしまったのです!
そもそも、赤い鳥が竹田の子守唄をリリースしたのは
1971年のことだそうです。
このときのA面が「竹田の子守唄」ですが、
B面(A面がメイン曲で、B面はおまけ曲)の曲は
果たして何だったと思いますか?
実は、B面は「翼をください」だったそうです!
えー@@、今だとB面曲の方が超有名じゃん^^;
そんじゃあ、A面の竹田の子守唄は売れなかったの?
そんなことありません。
ミリオンセラーの大ヒットだったそうです^^
まあ、A面の、情景が浮かんでくる美しい名曲に、
B面の、人生の応援歌の代表曲とくれば、
売れないはずがないですよね~^^
でも、翼をくださいが、現代でも有名なのに対して、
なんで、竹田の子守唄はあまり有名でないのでしょう?
そして、竹田の子守唄の4番の中の問題の1語とは?
うわー><、次回に引っ張ってしまったー。ちゃんちゃん。
2012年01月14日
竹田の子守唄 考2

名曲の詩を考えてみよう企画の第2弾です。
前回も紹介いたしました『竹田の子守唄』は、
地元で歌い継がれている「元唄」を、
フォークグループ「赤い鳥」がアレンジしたものです。
その美しい独特な旋律にのって、
短いけれども、奥深い、難解な歌詞が唄われます。
それでは、その第1番の歌詞から考察してみましょう。
1.守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
…… ?? @o@
皆目意味不明ですねー。
初めて聴いた時に、あたしは、(なぜか)
守り ⇒ 森林警備隊
と思い込み、
盆 ⇒ 危険区域の手前にある「盆」という地名
とも思い込み^^;
森林警備隊のスペシャリストの方々も嫌がるほど、
「ぼん」地区の先は、深くて危険極まりないな領域である。
なんてイメージで聴いていました。
そんな風に思われた方はいませんでしたか?
そんなんは、おめーだけだっつーの><。
でもでも@@。。にしても、意味不明じゃないっすか?
「守り」は子守りのことですよね。
子守りとは、貧しい家に生まれた小学生くらいの子供が、
お金持ちの家に奉公にいき、子守りくらいしかまだ
仕事も満足にできなくて、一日中、赤ん坊をあやしている、
ということらしいです。
それから「盆」は、お盆のこと。
亡くなった祖先の霊を敬う行事ですよね。
歌の時代のお盆は、いわゆる「旧盆」になっていて、
7月15日くらいに行われていたそうです。
ふむふむふむ@@、、
「子も泣くし」は、めんどうをみている赤ん坊が
泣いちゃって、困っちゃったな~。という意味でしょう。
そうよね~。じゃあ、歌詞も全部わかったじゃん^^
んなわけねーよー><。 みなさん、意味わかる@@。?
疑問をまとめましょう。
疑問① 盆の先ってなに?
疑問② なんで子守娘は盆から先を嫌がるの?
疑問③ 「お盆」って楽しいイベントなの?
疑問④ お盆は夏なのに、なんで雪がチラつくんだよー?
疑問⑤ 赤ちゃんはなんで泣いちゃうの?
いかがですか?
でしょ、でしょー、全く意味不明なのよー、この歌詞は。
疑問③がまず解けます!
それは歌詞の2番をみればいいんです。
まずは2番歌詞をどうぞ。
2.盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし
「帷子」は、夏用のひとえの衣類。下着みたいなイメージ?
「帯」はそのまんまの腰に巻く帯ですよね。
そして、帷子と帯がないということは、
貧しくて、普通の衣類を着ていない、ということです。
せっかくお盆が来ても、あたしは何にもうれしくないの。
だって、帷子もなければ、帯もないんだから……。
という意味ですよね。
うんうん、ここの意味はおそらく間違いないわ@@。。
つまり、「お盆」は、
普通の人にとっては楽しい行事ということです。
(でも、子守娘は、お盆が来てもちっともうれしくない!)
そこで1番歌詞にまた戻ってみます。
疑問①の「盆から先」とは、時間的な先のこと。
つまり、お盆が終わってしまった先のこと、を指します。
次は、いよいよ疑問②に注目。
なんで子守はお盆の先の季節を嫌がるのか?
ちょっと回り道ですが、
「竹田の子守唄」ととてもよく似た歌である
「五木の子守唄」でも、お盆の先という歌詞が登場します。
その歌詞を紹介しますね。
1.おどま盆ぎり盆ぎり
盆から先きゃおらんと
盆が早よくりゃ早よもどる
2番以降は省略します。
五木の子守唄動画は、こちらからどうぞ
用語の意味です。こちらのHPを参照させていただきました。
「おどま」 ⇒ 私
「盆ぎり」 ⇒ お盆まで
「もどる」 ⇒ 奉公先から、(晴れて)生家に戻る。
子守りの私は、奉公の契約がお盆までになっているから、
お盆が来ればこんなとこ(奉公先)には、いないよー!
お盆が早く来れば、早く生まれたお家に戻れるんだ~。
という感じの意味でしょうか?
でも、五木の子守唄では、お盆は奉公の契約期限という
意味をもっていますけど、
竹田の子守唄では、そんな記述はありません。
だから、竹田の子守唄のお盆は、単なるお盆^^;?
という意味にとれます。
さらに、お盆の先を嫌がる理由は……?
「守りもいやがる」の『も』という助詞も気になります。
つまり、普通の人は、楽しいお盆が終わると、
その先は秋が来て、やがて厳しい冬がやって来る。
だから、お盆の先を嫌がるのが普通の感覚であるが、
当然のことながら、子守りも(『も』)
厳しい季節であるお盆の先は嫌なんですよ、
という意味でしょうか?
ということで、難解な1番の訳はこんな感じですかね?
子守りのわたしでも、お盆の先の季節なんて大嫌いよ。
どうせ、お盆が過ぎれば、
あっという間に雪の季節になっちゃって、
ただでさえ手間のかかるこの赤ん坊は、
寒くなれば余計にわたしを困らせることだろうから。
あんまり自信もありませんが、
とりあえず、今日はここまで。
次回に続きます^^
2012年01月07日
竹田の子守唄 考

かつて、あたしのブログで、
(珍しく^^;)うまくいった企画に、
名曲の詩の考察シリーズがありました。
スタンダードな名曲を選び出して、その歌詞を
深~く考察させていただきました。
第1回目は、Scarborough Fair、
第2回目は、仰げば尊し、 でしたよね。
過去記事は、こちらからどうぞ
今回は、日本の名曲『竹田の子守唄』です。
子守唄にも、いろいろありますよね。
モーツァルト、ブラームス、シューベルトたちも
子守唄を作曲していますし、、、
(今日は日本の子守唄に目標を絞りましょうね^^;)
日本の昔ながらの子守唄もたくさんありますよー。
江戸子守歌、
五木の子守唄、
中国地方の子守唄、
そして、今日の主役の、竹田の子守唄、
などをはじめとして、様々な子守唄があるみたいです。
特に、上にあげた四曲のメロディは、
いずれも有名なので、みなさん、
おそらくどの曲も聞いたことあるある、ってなると思います。
さて、その中でも、個人的に最も印象的なメロディは、
『赤い鳥』という、昔のフォークグループが歌って、その後も
数多くのカバーがされている『竹田の子守唄』の替え歌です。
でも、そのメロディの前に、まずは、『竹田の子守唄』の
元来歌い継がれてきた原曲をご堪能ください。
You Tube 竹田の子守唄(元唄)
1.この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
2.寺の坊んさん 根性が悪い
守り子いなして 門しめる
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
3.守が憎いとて 破れ笠着せて
かわい我が子に 雨やかかる
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
4.久世の大根飯 吉祥(きっちょ)の菜飯
またも竹田のもん葉飯
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
5.盆がきたぁかて 正月がきぃたて
なんぎな親もちゃ うれしない
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
6.はよもいきたい あの在所(ざいしょ)越えて
むこうに見えるは 親のうち
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
さて、いかがでした?
えっ、聞いたことないメロディだったって? ^^;
(でも、替え歌は、きっと聞いたことあるはずです!)
ところで、元唄の歌詞を、もう少し考えてみましょう。
まずは、『守(もり)』、
そうです。子守りのことです。
次に『竹田』、
これは、京都市伏見区の竹田地区のことです。
ただ、この詩の鍵になることですが、
かつて、同和問題でご苦労が多かった場所なのだそうです。
『盆(ぼん)』
亡くなった人々を供養するあの「お盆」ですよね。
お正月とともに、おめでたい?日なのでしょう。
一方、よく似た曲である「五木の子守唄」では、
盆は、子守り奉公の約束期限日として、使われています。
つまり、お盆になれば、子守り奉公から解放されて、
自分の生まれた家に帰ることができる、というわけです。
しかし、ここの解釈がまたまた難しいんです><。
『在所(ざいしょ)』
この曲の運命を左右する鍵となってしまった言葉です。
本来は、「田舎の土地」、という意味らしいのですが、
京都地方では、「被差別部落」をあらわす言葉だそうです。
それでは、いよいよ本命である、『赤い鳥』が歌った
『竹田の子守唄』の替え歌に移りましょう。
まずは、歌詞をご覧ください。
1.守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
2.盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし
3.この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
4.はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて
むこうに見えるは 親のうち
あれれ、元唄と微妙に歌詞が変わっていますねー。
では、実際に曲を聴いてみてください^^。
今日の記事では、「赤い鳥」版ではなくて、
そのメンバーだった、山本潤子さんによる、
リメイク版の動画を貼っておきます。
(「赤い鳥」版は、次回の記事で^^)
山本潤子さんの「竹田の子守唄」
いかがでした。聴いたことあるでしょう^^
シンプルだけど、耳に残るメロディーだし、
何よりも歌っている山本潤子さんの声が素敵です。
それでは、次回に続くということでー^^
2009年03月07日
仰げば尊し 考5

「仰げば尊し」の歌詞の意味を考えようコーナーも、
いよいよ最終回です。(ねたが切れた~><)
ところで、このシリーズ5回のピアノの前で写した
スナップ写真ですが、制服とシェイプは同じであり、
ヘアスタイルとスキンを変えてみました。
でも、5人が別人みたいに写っているのが、
結構気に入っています。(余談ですが^^;)
さてさて、第4回記事の最後に皆さんに問いかけた疑問、
「今こそ 別れめ いざ さらば」
は誰が誰に向かって発言しているのか? ですが、
④の、先生が生徒に向かっての発言は、
1番と3番の歌詞には適応しません!
1番、3番の歌詞の視点は明らかに生徒の視点です。
(2番の歌詞ならば、先生が生徒に向かっての発言であっても
おかしくありませんが・・・)
①の、生徒から先生への発言も、ちょっとおかしいです。
目上の先生に対して、「いざ さらば」と言い切れるでしょうか?
無理だと思います。
ゆえに、1番、3番の「いざ さらば」の発言者は、
生徒であり、相手は同僚かあるいは学校に向かって
ということになります。
2番だけは、先生から生徒への発言である可能性が
ありますが、2番の第1行の歌詞を考えてください。
「互いに 睦し 日頃の恩」
「睦む」の言葉は、
仲間同士で分け隔てなく仲良くすることです。
(今の教師の理想像は、友達みたいな先生
らしいのですが)、昔の理想像の教師が
生徒に向かって、「互いに睦し」という発言は
やっぱり不自然です!
さらに、2行目の
「別るる 後にも やよ 忘るな」
日頃の恩を、別れた後でも、おい、忘れるなよ。
という発言は、いくらなんでも教師側の発言では
ないでしょう。(理想の先生の発言とは思えません)
つまり、2番の第1行、第2行の発言は、
生徒から同僚に向かっての発言だと思います。
それなら、2番の「いざ さらば」も同じく
生徒から同僚への発言です。
「仰げば尊し」のメインメッセージであり、
なにかと問題の核心でもある、2番の第3行の歌詞、
「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」
は、第1行と第2行の流れからすると、
生徒から同僚への応援メッセージである
可能性が極めて高いと思います!
でも、ここだけ、恩師の言葉が挿入されていると
いうことも、やや苦しいけどありうるかもしれません。
いずれにしても、「仰げば尊し」の歌詞で、
教師崇拝を助長させる箇所は、結局、
1番の第1行だけということになりませんか?
「仰げば 尊し 我が師の恩」
でも、これも、卒業を迎えた生徒の、
学校への想い出のひとつの場面に過ぎない
発言だと思います。もちろん、第1行の発言者は
生徒です。(「我が師」と言ってますからね)
以上の考察から、
あたしには「仰げば尊し」が教師崇拝のための歌で
あるとは、とても思えません。
それよりも、美しい過去の想い出を懐かしみながら、
仲の良かった友人と、あたらしい旅立ちを
祝福しあう歌であるような気がいたします。
名曲「仰げば尊し」
その複雑で奥深い歌詞の解釈は、
聴く人ひとりひとりで違っていて良いと思います。
皆さんは、いかが感じられましたか?^^
2009年03月03日
仰げば尊し 考4

「仰げば尊し」の歌詞を考察しましょうコーナー第4弾。
まずは、メロディが楽しめるHPをいくつか紹介しますね。
山の音楽 Reinmusik
世界の民謡・童謡 聖福寺HP
さてさて、前回の記事で問題となっている、
「仰げば尊し」は教師崇拝の曲である、という意見です。
1番の歌詞の中の、「我が師の恩」、
2番の歌詞の中の、「日頃の恩」、 と恩が続いています。
恩は目上の人から受ける行為ですから、
やはり教師からの恩であると考えるのが自然です。
特に1番は「我が師の恩」ですから、
間違いなく先生への恩ですね。
ただ、2番の恩は、「互いに睦し」という言葉が前にあります。
「睦む」は仲間同士で分け隔てなく仲良くすることです。
つまり、1番の恩は先生への恩であり、
2番の恩は同僚への恩であると考えられます。
一方的な教師崇拝の歌というよりも、
先生や同僚への恩を忘れないように、
というメッセージの歌ではないのでしょうか
2番の歌詞の 「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」
と語っている人物は、おそらく先生です。
同僚同士でいうことも可能性としてはありますが・・・。
(あるいは、天からの声?^^;)
でも、この語り手が教師であっても、
それで教師崇拝にはつながらないように思えます。
やはり、別れがメッセージの歌であっても、
この2番第3行の歌詞は矛盾しないからです。
3番の第2行の歌詞は、生徒個人の努力を称えているし、
3番の第3行の歌詞は、
生徒が教師に対して抱く回想というよりも、
学校(先生、生徒、校舎など)に対する回想と
考えるほうが自然です。
さあ、1番から3番まで、共通の歌詞の第4行、
「今こそ 別れめ いざ さらば」 ですが、
これは誰が誰に向かって言っているのでしょうか?
(ここが、この問題を解決する重要な鍵だと思います)
① 生徒が先生に向かって
② 生徒が同僚の生徒に向かって
③ 生徒が学校に向かって
④ 先生が生徒に向かって
みなさんのご意見は?
2009年03月02日
仰げば尊し 考3

「仰げば尊し」の歌詞について考えてみようコーナー第3弾!
卒業式で歌われる「仰げば尊し」は1番、2番(?)です。
「蛍の光」も1番、2番までなので、卒業生・在校生の歌が
ともに2番まで歌われていて、バランスはいいと思われますね。
でも実は、「仰げば尊し」で歌っているのは、1番と3番だった!
つまり、2番はあるんだけど、なぜか歌われないんです!
なんで?なんで? @@
それでは、このコーナーのメイントピック、
「仰げば尊し」の幻の2番の歌詞を考察してみます。
2. 互いに睦(むつみ)し 日頃の恩
別るる 後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
はじめて歌詞を見たよ、って人もいるかもしれませんね。
さっそく、意味を考えて見ましょう・・・
第1行の難しい言葉は「睦む」ですね。
でも、この言葉は・・・そう! 「仲睦まじい」の睦ですね。
つまり、第1行は訳せば、
お互いに仲よく過ごした、日々の恩恵を
続いて第2行の訳もいきま~す。
別れた後でも、忘れないでくださいね。
最後の「ね」って勝手につけたんじゃないですよー。
文章の「やよ」ってあるでしょ。 Yahoo 知恵袋
「やよ」は呼びかけのときに発する言葉の
おいおい、とか やあやあ に相当するものだそうです。
だから、男の子の会話なら、第2行の訳は、
たとえ別れても、おい、忘れるんじゃないぞ!
って感じですかね(肩をたたきあっちゃって^^)。
それでは、第3行です。
「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」・・・。その意味は、
立身出世をしなさい。 名前をあげなさい。
そうなるように・・・、君! 一生懸命に努力しなさい。
みなさんはこの歌詞を、どう思われますか?
そして、第4行・・・。
これでお別れだ。 じゃあ、さようなら・・・。
「仰げば尊し」を卒業式で歌うことを強制するのはおかしい!
という意見が最近問題になっています。
その理由は2つあります。
一つは、歌詞の解釈によっては、教師崇拝を思わせる内容。
もう一つが、2番の第3行の歌詞の内容。
つまり、立身出世をして名をあげて、
ときには他人を蹴落としてでも、精進しなさい、という部分です。
(軍国主義に都合のいい歌詞であるともいわれてます)
あたしの意見を言わせていただくと、
「仰げば尊し」の歌詞が発するメインメッセージは2番なんです。
だって、1番と3番は歌詞の内容は、
情景描写だけで済ませてあります。
どちらも、過去を懐かしみ、さあ別れましょう、でしめ切っています。
でも、2番は違うんです! 「やよ」という言葉が2回用いられて、
聴き手にメッセージを訴えているんです。
(1番と3番が受動的なのに対して、2番は能動的ともいえます。)
身を立てるために、名をあげるために、
個人が努力をすることは、決して悪いことじゃないし、
それはとても素敵なことだと思います。
残念ながら、今の時代の精神にはそぐわないのかもしれませんね。
でも、もう一回、2番の歌詞で「仰げば尊し」を歌ってみてください。
強いメッセージが伝わってきて、
なんとなく、胸がジンとあつくなっちゃいませんか?
2009年02月28日
仰げば尊し 考2

「仰げば尊し」の歌詞の意味を考えよう・・・シリーズ第2弾!
卒業式の定番の歌、「仰げば尊し」、
その難解な歌詞以外にも不思議なことがいっぱいです。
前回の記事では1番の歌詞を調べてみました。
今回の記事では3番の歌詞を調べたいと思います。
「えーー!? なんで2番じゃないの?」
当然の疑問ですよねえ^^
実は、卒業式では「仰げば尊し」の歌詞は3番まであるにも
かかわらず、歌われるのは1番と3番だけなんですよね。
(なぜ、2番が歌われないんだ・・・??)
その疑問は後回しにして、3番の歌詞を考察してみましょうね。
3. 朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
蛍(ほたる)の ともしび 積む白雪(しらゆき)
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
第1行はわかりやすいですよね。
朝から夕方まで、いつも慣れ親しんだ学び舎の窓・・・。
第2行はちょっと意味深ですね。
蛍のともしびや降り積もる白雪の想い出が移り過ぎていく。
「蛍」ですか! そういえば、卒業式のもうひとつの定番曲が、
「蛍の光」ですね。出だしの歌詞が、「蛍の光 窓の雪・・・」
2つの歌詞に共通の「蛍」と「窓」と「雪」の言葉は偶然なのでしょうか?
「蛍雪」という言葉は中国の故事で、 語源由来辞典
夏には蛍を集めて、その光で本を読んで勉強して、
冬には窓からこぼれる雪明りで、本を読んで勉強する。
こうして、努力が結ばれて出世するお話がもとになっているそうです。
つまり、第2行を意味を考えて訳すと、
僕たちは、一生懸命に学業に励んできました。
いよいよ、クライマックスの第3行!!
「わするる まぞなき ゆく としつき」
意味不明ー>< 日本語じゃないよー^^;
中学校のときに、一部の男子が「まぞ」という言葉をやたらと強調して
よろこんでいました。「やめてくれー>< 名曲が・・・」と思いつつ
正しい歌詞の意味もわからないので、なんで「まぞ」なんだ??
「まど」の間違いなんだ。きっと・・・。と一人で勝手に解釈していました。
(「まど」でもまったく意味不明だろう・・・^^;)
「まぞ」の意味は、「間」+「ぞ」、
すなわち、 空間or時間+係り結び助詞 ですよね。
おーー、またまた出てきました。 係り結びが! ネットの学校
だとすると・・・、とってもすてきな意味が浮かび上がりますよ。
去り行く年月の数々の想い出は、
どれひとつとして、忘れることはできません。
ZARD さんに、「Season」というタイトルの隠れた名曲があります。
そのなかで、主人公の男の子が、告白できなかった憧れの女の子に
向かって、英語のメッセージを(独り言で^^;)つぶやきます。 それが、
"I'll remember you and the windy season."
(僕はきっと忘れない! 君のことと、あのそよ風の季節を・・・)
思わず、この歌詞を思い出してしまいました^^。
そして、最後のメロディとともに、第4行の歌詞、
さあ、ここでお別れです! みなさん、さようなら・・・
「こそ」+「別れ」+「め(意思)」 の係り結びでしたよね。
第4行の歌詞って、すごいと思いませんか?
だって、 さあ、今こそ離別のときなんです! って意味でしょ。
これって、恋人同士の会話だとすると悲劇になっちゃいますよね。
つまり、歌詞としてありえないシチュエーションじゃないですか!
でも、もし「別れ」が、次のステージへのステップであり、
みんなで突き進んでいこうね、という気持ちであるのなら、
こんな歌詞でも、ちゃんと成立するんだなと思います。
歌手の森山直太朗君の名曲「さくら」の中での
「泣くな友よ、今、惜別の刻 飾らないあの笑顔で、さあ・・・」
なども、仰げば尊しのこの歌詞を踏まえていると思われます。
「仰げば尊し」のフィナーレを飾る、3番の歌詞。
とても素敵な歌詞(特に第3,4行が)で、震えちゃいました。
なんか嬉しいですね。
2009年02月27日
仰げば尊し 考1

卒業の季節がやってきましたね。
卒業式の定番の歌といえば「仰げば尊し」
美しいメロディ、そして、なんといっても森鴎外の「舞姫」を
思わせるような超難解な歌詞・・・^^;
そこで、今回は「仰げば尊し」の歌詞を調べてみまーす。
とはいっても、そんな難解な歌詞を語れるわけもなく、
文献に頼らざるを得ません。
まずは、参考文献を羅列しておきますね^^
Wikipedia 雑学トップ 常識ぽてち
山岸勝栄英語辞書 気になることば
さてさて、ではまず1番の歌詞を見てみましょう。
1. 仰げば 尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや 幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば
雰囲気は何となくわかるんですけどねえ・・・^^;
「仰ぐ」 は顔を上に向けること。
つまり、自分より上の人として扱い、
指導に従うことだそうです。
仰ぎ見ればとても尊いものでした。
私たちの先生のご恩は・・・
第2行は比較的直訳できますね
この学び舎での生活も
早いもので、もう何年も経ってしまいました。
第3行・・・、解説なしでは意味不明です><
思えばいととし・・・
いと+疾し
いと・・・強調語 (いとをかし なんていいますよね)
疾し・・・早いこと
だそうです。つまり第3行を訳してみると、
思い返せば、なんて早く過ぎてしまったのでしょう
ここでの歳月は・・・
最後の行です。
今こそ 別れめ これは古文の係り結び!
「ぞ、なむ、や、か」 ==> 連体形
「こそ」 ==> 已然形 ネットの学校
ということなので、「別れめ」は
別れむ 「む」・・・意思を表す古文の助動詞が
已然形に変化して「め」となっている!そうです。むずい><
つまり、訳すると
さあ、今こそ、別れましょう! では、さようなら。
となるそうです。歌詞の1番でもこれだけ難解な「仰げば尊し」
次回もお楽しみにー^^
2008年12月28日
Scarborough Fair 考4

遂にScarborough Fairシリーズも第4弾です。のってきましたよ~。
(以前の記事をお読みでない方は、先に読んでおいてくださいね。)
さてさて、第3弾記事のコメント欄での ojiさんの指摘を考えてみます。
(ojiさんって、王子さん?おじさん?おじいさんじゃないですよね^^;
ごめんなさい・・・話をもどします)
ojiさんの指摘は、雀の文章は②の文章が正しくて、
白い頭の雀とは、白頭鷲が象徴のアメリカを皮肉っているのでは?
ということです。
おおおおおお!!!すごく感動しちゃったのはあたしだけでしょうか?
白頭鷲は英語を調べると Bald Eagle です。
それじゃあ、裏歌詞も Bald Sparrow とすればいいじゃないか?
とも思われますが、さすがにそれでは皮肉が直接的で
歌全体のイメージを裏歌詞で壊してしまいますよね。
この裏歌詞はベトナム戦争反戦歌なんだけど、
ぱっと聴いただけではそれがわからないように、
でもよ~く読むと一言一言が戦争を皮肉っているように・・・
と繊細に緻密に書かれていますよね。
そう考えると sparrow on snow-crested brown は確かに
今のアメリカは、偉大なる鳥の王様の白頭鷲ではなくて、
頭が白いちっちゃな雀だよ!ってサイモンが皮肉っているのかも。
そこで、またまた歌詞の訳を訂正いたします。
On the side of a hill in the deep forest green
(深い森の緑に覆われた丘の斜面で)
Tracing of sparrow on snow-crested brown.
(頭だけが白くなっている茶色の雀が追いかけてくる)
Blankets and bedclothes, a child of the mountains
(毛布とパジャマに包まれて、ひとりの山脈の子供は)
Sleeps unaware of the clarion call.
(進軍ラッパの音に気付かずに眠り続ける)
mizukiさんがこの歌詞は nで韻を踏んでいるといってました。
green と brown が韻と色とで揃えているのかもしれません。
(どちらも韻を踏まなければ無くてもいい単語ですよね)
Tracing of sparrow ですから、意味は雀の追跡ですが、
米軍によるホーチミンルートでの北ベトナムゲリラ軍の追跡。
つまりは米軍のベトナム戦争への進行を意味するのかも。
でも、そんな行為は偉大なるアメリカの行為ではなく、
お前らは今は単なる雀に過ぎないんだぞ!という皮肉・・・。
なんか長い考察をして、訳のわからない裏歌詞の意味が、
とくに不可思議な単語の mountains や sparrow が解明されて、
よくわかったような気がします。(超自己満足^^)
あと、わかんないのは the grave の the くらいかな?
mizukiさん、解明して~・・・^^; ちゃんちゃん。